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名古屋高等裁判所 昭和35年(ネ)595号 判決

控訴人 首藤茂

被控訴人 首藤節子

主文

原判決を取り消す。

本件を福岡地方裁判所大牟田支部に移送する。

事実

(略)

理由

方式および趣旨により公務員が職務上作成したものと認め得る甲第一ないし三号証、原審における証人真田和昌、同伏見次郎、被控訴本人および控訴本人の各供述、当裁判所の調査嘱託に対する福岡県大牟田警察署長の回答書ならびに弁論の全趣旨を総合すれば、

一、控訴人と被控訴人(旧姓、伏見)とは、昭和一八年ころ結婚し岐阜市において同居し、昭和二〇年一一月一日長女名和子を生み、昭和二四年三月一六日夫たる控訴人の氏を称する婚姻の届出をしたものであつて、飲食店営業等をして生計を立て、昭和二七年ころ同市真砂町一三丁目(現在、同市新栄町四番地)において約一〇坪の土地を買い求めその地上に二階建の店舗兼住宅を建築し、その所有名義人を土地については控訴人、建物については被控訴人としておき、右建物に居住したり、同市内の他の場所に居住したりしていた。

なお、一時右建物の階下店舗を浅川あき子に貸し同女をしてそこでスタンドバーを経営させていた。

一、控訴人は、前記名和子の出生当時より、田中しゆんま、小林よし子、右の浅川あき子、久保綾子および岩本勝子と順次情交関係を結び、被控訴人と同居したり、右の情婦等と同棲したりしていた。そのために被控訴人は、控訴人との離婚を決意し、昭和三四年二月二五日名和子を連れて実家なる岐阜市安良田町五丁目八番地の三伏見次郎方に帰り、同年四月二日岐阜家庭裁判所に控訴人を相手方として離婚の調停申立をし、控訴人は、その手続において当初の二、三回は調停期日に出頭した。しかし、控訴人は、同年五、六月ころ唯一の所有不動産である前記土地建物等を被控訴人には無断で他に売却し、当時の情婦なる前記岩本勝子と協議のうえ、そのころ同女の郷里なる大牟田市に赴き、同市有明町一番地の二において一戸を構えて同女と同棲し飲食店営業をして現在に至つており、岐阜市には控訴人の財産は何も残存していない。控訴人は、大牟田市に赴いてからは調停期日に一度も出頭せず、右の調停事件は、昭和三四年九月五日合意成立の見込なく調停不成立により終了したものとして処理された。それで被控訴人は、同年九月一六日岐阜地方裁判所に控訴人を相手方として本件離婚訴訟を提起した。

という事実を肯認するに十分であり、原審における控訴本人および被控訴本人の各供述のうち右認定に反する部分は信用し難い。

上記事実関係のもとにおいては、被控訴人が本件訴訟を提起した昭和三四年九月一六日当時における控訴人の住所地は、岐阜市ではなく、大牟田市であつたとみるのが相当である。

もつとも、記録編綴の岐阜市長作成の住民票謄本二通(六〇丁六一丁)によれば、住民登録法にもとづく住民票上、控訴人、被控訴人および名和子の各住所はいずれも岐阜市新栄町四番地と記載されていたが、被控訴人および名和子は昭和三四年九月一四日右の場所より同市安良田町五丁目八番地の三に移転した旨記載され、控訴人の住所に関する記載は上記のままにて残存していることを認めることができる。しかし、本件訴訟提起当時住民票上控訴人の住所につき上記のように記載されていたという事実があつても、当時の控訴人の住所地が大牟田市であつたという前記見解を左右しない。

以上のとおりであるから、民事訴訟法第二九条人事訴訟手続法第一条第一項により、本件訴訟の第一審は控訴人の住所地なる大牟田市を管轄する福岡地方裁判所の管轄に専属するものである。したがつて被控訴人が本件訴訟を岐阜地方裁判所に提起したのは管轄違であるといわなければならない。被控訴人は、家事審判法第二六条第二項により本件訴訟は岐阜地方裁判所の管轄に属する旨を主張する。しかし、右の条項は、出訴期間の定めのある事件について訴を提起する場合にあらかじめ調停の申立をしたことによつて生ずる出訴期間経過の不利益を除去するために設けられた規定であるにとどまり、調停申立の時を基準にしてその後に提起される訴訟の土地管轄を定める趣旨ではないことが明白であるから、被控訴人の右主張は理由がない。

それで民事訴訟法第三九〇条により、主文のとおり判決をする。

(裁判長裁判官 石谷三郎 裁判官 山口正夫 裁判官 吉田彰)

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